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2011年前院長便り

2011年1月

~明けましておめでとうございます~
今年のお正月はすっきりと晴れ渡り、清々しい三が日でした。
さて、今年の政治経済、社会保障の面ではお天気のように明るい展望が開けるでしょうか。
残念ながら、現在の政治の迷走を見ていますと期待は出来ません。決して今の日本に国力が無い訳ではありません。これを覚醒させ、世界へ展開させる為政者やリーダーがいないというのが問題なのです。つまらない政争に明け暮れ、我が保身のみを考える政治家は要りません。
多分、内部改革は無理なのでしょう。そのうちに、驚天動地の外圧や外力が2、3年内に生じると思います。その時に備えて、私達国民は覚悟を決めて、身辺を整理して力を貯えておきたいと思います。

2011年2月

年初来不順な天候が続いておりますが、皆様如何お過ごしでしょうか。
当院は昨年末よりインフルエンザや急性胃腸炎の患者さんで混雑しており、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
インフルエンザは終息に向かっているようですが、これから又花粉症のシーズンが始まります。 職員一同気を引き締めて診療にあたっておりますが、行き届かない点などございましたらご指摘いただきますようお願い申し上げます。
私事ですが、去る2月3日に読売新聞社より神奈川県医療功労者表彰を受けました 。 困難な状況の中で地域医療に貢献したということでいただいた表彰ですが、これは一重に地域の皆様のご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
今後とも引き続き皆様のご指導ご鞭撻、宜しくお願い申し上げます。

神奈川県医療功労者表彰を受けました

2011年3月

3月11日に発生した東日本(東北、北関東)大地震は西日本(阪神、淡路)大震災の被災者数を越えてしまいました。
地震国日本の宿命とは言え、余りにも酷い事です。
日本人はこれまで幾度かこのような自然災害に遭遇しながらも生き延びてきました。四季折々の自然の恵みに育まれてきた日本は、時々このような自然のしっぺ返しに遭います。その中で日本人が学んだことは、自然を敬い、自然を畏れ、人は互いに助け合って生きてゆかねばならないということでした。昨今の日本人はこのことを忘れ、他を顧みず、余りにも自己中心的な風潮になってきていましたので、私達はこれを日本への警鐘とも考えなければなりません。
つい先頃私は、日本は外圧、外力によって変わるのかと嘆きの文章を書きましたが、不幸にしてこのような事態になりました。しかしながら(報道によりますと、この未曽有の大災害の中で被災者は冷静で争うことなく、共助の優しい精神を発揮し、日本国中からの支援と励ましが届けられているということで、海外からも称賛されています。
日本はこの痛みを忘れることなく、他人や他国に対して思いやりのあるもっと素晴らしい国として甦るものと私は信じています。

2011年4月

4月24日、日本医師会の代議員会と沖縄県人会の2大イベントがありました。
日本医師会の代議員会は、3月11日の東日本大震災後間もないこともあり、医師会としてこの未曽有の事態にどう対処するかということで激論が交わされました。J-MATという日本医師会の医療支援チームが全国から派遣されていますが、これ以外にも総力を挙げて支援に取り組むことが決められました。
代議員会の間を縫って沖縄県人会総会にも参加しましたが、今期総会にはテレビのスポーツ番組、特にサッカーの司会やコメンテーターとして活躍しているカビラ慈恩、慈英兄弟も参加されていました。泡盛や三線、琉球舞踊で盛り上がりました。

カビラー家と

カビラー家と

2011年5月

5月の連休を利用して九州巡りに出掛けました。
大震災後で若干気持も重かったのですが、無理に気持を引き立てて小田原から新幹線で 博多へ向け出発しました。
案の定初日から体調不良、上腹部膨満と激しい痛みに襲われ、3日目に阿蘇でリタイアする破目になりました。胆石による胆のう炎、黄疸を発症しましたが、今回は一時入院で軽快したので改めて手術ということになりました。 過信と過労が引き金になりましたが、自らを労わる年齢になったかとつくづく思い知らされました。
入院中、患者様にはご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

2011年6月

~入院~
胆石、胆のう炎による黄疸、発熱、肝機能障害で入院をしました。幸い息子達が代診を務めましたので、患者さんへのご迷惑は最小限に食い止められましたが、それでも皆様には多大なご迷惑とご心配をおかけしました。
この次に胆のう摘出が控えておりますので又ご迷惑をおかけいたしますが、 何卒宜しくお願い申し上げます。

~足柄上医師会定時総会~
6月30日、母親の命日でしたが、当日医師会の総会がありました。体調があまり思わしくありませんでしたが、何とか頑張って無事終了。納涼会も同日に行いました。
今日の総会での重要議題は、再来年11月25日までに医師会が公益社団法人に移行することを方針として決定したことでした。これから益々忙しくなりそうです。

2011年7月

~母校での講演会~
7月4日、母校、沖縄県立名護高等学校の高安校長から依頼され、進路講演会で講演を行いました。
「高い志を抱いて」という演題で全校生徒1000人弱でしたが、期末考査の最終日、真夏の沖縄午後2時、空調の無い体育館で私は病み上がりという最悪の状況でした。
しかし、後輩の名護高生は真面目でした。最初にほぼ全員が団扇を持って体育館に入ってきたため、1000人の団扇の音が地鳴りのように響いておりましたが、指導教官の「団扇止め!」の一言でパタッと音が止まりました。
講演中はメモを取っている者が多く、殆ど私語や居眠りなどが気にならず、よく最後まで熱心に聞いてくれました。
講演の主旨は、どのような進路を選択するにも志を高く掲げることが大事で、故郷を想う気持ちがその心の支えになるということでした。講演の反応も良く、講演後に数人の生徒が校長室へ来て、もう少し話をしたいという申し出もありました。中には「是非医学部へ行き、地域医療の道に進みたい」という方もいて、講演は大成功だったかと思います。

母校での講演会

2011年8月

~胆のう摘出~
胆石による胆のう炎を2年前に発症しましたが、最近立て続けに黄疸、激痛等があった為、8月2日に手術を致しました。
腹腔鏡による手術で開腹手術とは異なり、術後3日目には退院し、翌日から診療も始めております。それでも代診となったり、痩せてやつれた見苦しい姿を皆様にお見せしてかえって気を遣わせてしまったり、申し訳ありませんでした。
入院等により、医療従事者としてのあるべき姿について色々と学ばせていただきましたので、これを糧としてなお一層精進したいと思います。 今後とも宜しくお願い申し上げます。

2011年9月

~防災訓練~
これは防災訓練が大々的に行われたということではなく、取り止めになったという話。
9月4日(日)に神奈川県と松田町の合同防災訓練が行われる予定でした。米軍、自衛隊も参加するという大掛かりな訓練で、勿論足柄上医師会へも協力要請がありました。会長である私も代診の先生を頼み、準備万端整えてこれに備えておりました。
ところが、台風接近のニュースが3日前からあり、大型ですが自転車並みのスピードで関東地区にも来るらしいという事でした。恐らく、神奈川県や松田町もやきもきした事と思いますが、参加予定の当医師会へもどうなるのかの通知がきません。前日の午前9時に松田町に問い合わせたところ、県から中止との通知があったという事でした。
台風の中での本物の防災に近い訓練が出来るかと意気込んでいただけに拍子抜けでした。 決行か中止かの情報も伝達されず、この訓練は実際の災害に対してあまり役に立たず、完璧な失敗だったと言えると思います。

2011年10月

~日野原重明先生~
10月4日に百歳を迎えられたばかりの日野原先生に8日の会議でお目にかかりました。
先生が理事長をされているピースハウス病院(ホスピス・神奈川県足柄上郡中井町)の運営評議会がありました。私も5年前から同病院の評議員を務めていますのでそこで先生にお会いしたのですが、本当にお元気で少し居眠りもされますが、ポイントでの発言は的を外さず、寝ていても会議の内容は聞こえているかの如く、又お食事もデザートも殆ど全部召し上がっておりました。
私より30.年以上もご高齢の先生が日本の医療、福祉、社会奉仕の為に頑張っておられるそのお姿に勇気づけられ、励まされる思いがしました。
今年に引き続き、来年5月に「勇気ある生き方」という題で、足柄上医師会主催による日野原先生のわかり易い医学講話、講演会を開催致します。どうかご期待下さい。
なお、日野原先生のご講演や会議の日程は既に2016年頃まで続々と入っているとのことでした。

日野原重明先生と

2011年11月

お休みしました。

2011年12月

毎年、年末から正月にかけて状態が悪く、中には危篤状態の掛かり付けの患者さんがおり、気持ちをゆったりと落ち着けて休むことがほとんどありません。
しかしながら、今年は珍しく皆さん一応小康状態でしたので、孫と一緒に伊東のサンハトヤホテルに泊まり、心おきなく温泉を楽しむことが出来ました。孫達3人が大騒ぎでしたので静かにとはいきませんが、それなりに難しい事は何も考えることなく、過ごしました。
本当に大変な年ではありましたが、体調も充分に回復しましたので、地域の患者さんの為、そして東北の被災された皆さんの為に来年へ向けて頑張りたいと思います。