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2007年前院長便り

2007年1月

明けましておめでとうございます。
昨年は社会的には暗い話題が多かったように思います。今年は心機一転、明るい日本、本来の思いやりのある慎み深い日本になりますよう皆で頑張りましょう。今年の正月はインドで迎えました。

タージマハールをバックにサリーを着てマハトマ・ガンジー廟前にてインドの「のら牛」

2007年2月

~地域医療で30年~
楽しみにしていた正月休暇も終わり、もう2月。
2月に息子の結婚式があり慌しくしております。末子で医師になりたての息子がまだ生後8ヶ月の頃、 私は山北町の町立診療所所長として赴任してきましたので、 息子の歳を数えると、この地での開業医生活ももう少しで30年になります。夢中で過ごした30年。余命を数えるようになると、何か意義あることが 出来たかと振り返り、反省することしきりです。まだまだ自分でもやらねばという気持ちと、 子や孫に自分の望みを託す気持ちが交錯しております。

2007年3月

~喜びと悲しみの数~
2月は長男の結婚と孫娘の満1歳の誕生祝があり、嬉しいことが重なりました。 その一方で、南燈同窓会(沖縄三中・名護高出身の会)の前会長の御逝去や、 親しくしていた方々の重篤な病気の発症等色々と気を病む事がありました。年齢を重ねると暇になるかと思っていましたが、いろいろと役をこなさなければならなかったり、慶事や不幸、病気の付き合い等益々忙しくなってきました。それだけに喜びや悲しみの数も増えてきて、あっという間に毎日が過ぎていきます。

初孫の成長長男の結婚

2007年4月

~医師会会長就任~
4月1日から足柄上医師会会長に就任することとなりました。益々多忙になり、 体力的にも厳しくなりますが、立場上断ることが出来ず、家族の反対を押し切ってのことでした。 足柄上医師会は、南足柄市・山北町・松田町・大井町・開成町・中井町の一市五町の医師によって組織される会で、4月1日現在で会員数は76名です。 公務の為に、皆様にいろいろと御迷惑をおかけすることになるのではと心配をしておりますが、ホームページその他で日程や診療時間の変更等を早めにお知らせ致しますので、何卒宜しく御願い申し上げます。

2007年5月

~多峯主山(とおのすやま)・足柄上医師会長・孫との別れ~
4月22日(日)に、奥武蔵の天覧山(てんらんざん)から多峯主山へ登るハイキングに 行きました。山や草木に詳しいアウトドアライターの津波克明(つはかつあき)さんを リーダーとして、高校の同窓会の楽しいハイキングでした。 新緑の中、松・杉・檜の語源や、道端の草花の解説を交えてのノンビリしたハイキングで、 山菜を採る楽しみもありました。4月1日から医師会長に就任しましたが、毎月第4木曜日の午後は県の会長会の出張で、 皆様にはご迷惑をおかけします。5月21日に孫の美緒が父親の米国留学の為、クリーブランドへ行ってしまいます。 パソコンにスカイプフォンを付けて、顔が見られるようにしてありますが ...寂しくなります。

孫足柄上地区休日急患奥武蔵の天覧山

2007年6月

~別れ~
人生にはいろいろな別れがあります。私にとって大きな別れと出発は、18歳のときに沖縄から留学生として日本本土の大学へ進学した時の那覇港からの船出でした。それから沢山の別れと出会いを繰り返してきました。5月21日、孫の美緒が成田空港からアメリカへと飛び立っていきました...寂しくなります。

2007年7月

お休みしました。

2007年8月

梅雨の時期に嬉しいことがありました。 7月14日、内孫(女児)が誕生しました。爺さんの贔屓目ではなく(?) なかなかの美形だと思います(笑)

初めまして、叶実(かなみ)です。

二人の孫が出来て、益々生きがいそして働きがいが湧いてきました。 米国に行ってしまった方の孫も元気に育っているようで、プール遊び等 しているようです。

夏を満喫、美緒です。

7月9日、母校の沖縄県立名護高等学校で、山里校長先生、比嘉同窓会長、松田財務委員長と平成20年2月3日に行われる「創立80周年記念式典」の打ち合わせをして参りました。私が会長を務めております東京南燈同窓会も全力で取り組み、是非ともこの式典を成功させたいと思っております。

校長室にて(前列左より山里様・石川・比嘉様)

同日、高校時代に散策した名護城址(ナングスク)に登り、懐かしく名護の町と海を眺めて参りました。

名護城址より見下ろす名護の町と海

内孫誕生 初孫の成長 母校 名護城址より見下ろす名護の町と海

2007年9月

~ 沖縄病~
最近、若者や定年後に沖縄へ移住する人が増えている。 特に八重山・石垣島等には、住民登録もしないまま住みついている人も多いと聞く。住民としての納税義務や相互扶助、労働人口としての役割等をきちんと果たしてくれれば大いに歓迎するところであるが、そうでない人も多いようだ。 私は沖縄出身のせいか、沖縄に取り付かれる所謂「沖縄病」といわれる人々の気持ちが全く分からない。 子供の頃はあのうだるような暑さに参って、早く逃げ出したいと考えていた。 しかし最近どういうことか、日本全土がやたらと暑く、沖縄よりも耐え難い気候になってきているのだ。 こんなに暮らしにくいならば、気持ちの優しい人が多い沖縄の方がまだ良いか…とも思うこの頃である。

2007年10月

~思い込み・すれ違い~
何十年患者さんを診ていても、こういうこともあるのか?と驚くことがある。「この薬は食後に服用して下さい」と投薬した場合、こちらとしては当然普通の時間帯での3回の食後を想定しているが、たまに食事が1日1回とか、とんでもない時間帯に食事をとる方もいる。こういう問題はその場で申し出ていただければ解決できるのだが、診察中にはおっしゃらず、薬局で「どうすればいいのですか?」と尋ねる方がいる。そういうことまで聞いていないこちらが悪いと言われれば確かにそうなのですが... ごくありふれた風邪症状で来院され、訴える症状を聞き診察して、熱がある場合には「尿路感染症」を合併していることもある為、検尿をすることもある。こちらとしては、患者さん本人が風邪の症状を自覚し受診していると思い「ではお薬を出しますから待合室でお待ち下さい」ということで終了すると、たまに問題が起きることがある。実はこの症状をご本人は、肺や心臓の重大な病気、また中には癌ではないかと思っている場合があって、「どういう病気なのかという診断や説明をしなかった」とか「レントゲンは撮らないし、心電図もとらない。設備がないのか?」などと文句を言われることもある。その他にも「医療費が高い」「薬代が高すぎる」等の苦情もある。 最近ではありふれた呼吸器や腸管の風邪症状でも、カルテ上は風邪症候群もいろいろと細かく分類されるのだが、「風邪です」と言い切って、何か他に言いたいことがあるかどうか顔色を伺うことが多い。が、たまに失念してしまうこともある。 中国では「何か問題がありますか?ないですか?」という聞き方をするが、日本の医者もそういう聞き方が必要なのかな?と思います。

2007年11月

『カジマヤー』
10月13日、沖縄で母親の「カジマヤー」がありました。「カジマヤー」とは数え年97歳の長寿の祝いの事ですが、本来「カジマヤー」とは「風車(かざぐるま)」のことを意味します。赤い着物を着て、風車で飾り立てた乗り物に乗り巡行し、皆の祝福を受け、又皆も幸福をいただくという本当に御目出度い祝い事です。昔は馬車等、現在ではオープンカーでのお披露目が一般的ですが、車に乗れない方はベッド上や車椅子等で皆に祝ってもらいます。色とりどりの可愛い風車を添えた引き出物を、通りがかりの人にもお配りします。カジマヤーの祝いは「97歳でまた子供に戻りました」という意味で、子供たちはオジイ、オバアに頭をなでてもらい、大人は握手をして「嘉利吉(カリユシ)~幸福の意~」をいただきます。この度は沢山の方々のお陰でカジマヤーを迎えることができました。心から感謝申し上げます。

カジマヤー

2007年12月

~師走~
今年も残り少なくなりました。皆様にはいろいろとお世話になり、ありがとうございました。 医師会長に就任して以来、会議や雑用の多さに驚いていますが、その度に休診になったり診療時間の遅れ等がでて皆様に御迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。 少し慣れてきましたので、来年は要領良くこなしていきたいと考えております。宜しく御願い致します。

同窓会1同窓会2